わたしの場合。

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ダウン症とわたし

あなたはダウン症の人と直接関わったことがありますか?

 

私は、小学校6年間、同じ学校で過ごしました。

今の特別支援学級(当時の養護学級)がある小学校でした。

特に関わり方を指導されるようなことはありませんでした。でも、ほとんどの子はフラットな見方で、偏見を持って差別するような発言をするようなことはありませんでした。

 

そんな中、私はどんな関わり方をしていたかというと

 

朝見かければ「〇〇ちゃんおはよー!」と声をかけ

休み時間には「〇〇ちゃん外行くー?」と声をかけ(だいたい行かない)

帰りに見かければ「〇〇ちゃんまた明日ねー!」と声をかけ

そんな関わり方をしていました。

今考えると、こんなに関わるのは少数派だったかも。でも私の他にも5人くらいかな、同じような関わり方をしている子たちもいました。

私を含め、声をかける子たち共通の認識にあったのは「だって同じ学年だし」それだけです。

口輪筋の発達が未熟なためにヨダレが垂れていることもありました。

当たり前に「〇〇ちゃんヨダレ垂れそうだよ、口の周り拭いていい?」と彼女のハンカチで拭いていました。

体育の後で友達に「お尻に砂ついてるよー」と言うのと同じ感じで。

(高学年になると自分で拭くようになっていたなあ)

 

彼女は喃語のような発声だけでしたが、それでも当たり前に意思疎通を図っていました。

 

一番記憶にあるのは日常なのですが、衝撃的だったのは六年生の運動会。

今時の学校でよくある「めんどくさい交流授業」は行っていなかったのですが、運動会は同じ学年として無理のない範囲で同じ競技に出ることになっていました。

 

その年の競技は、二人三脚。

 

学級で、自分たちでペアを決めていいと言われました。

どんどん決まっていくペア。

私が仲良くしていた子たちからも誘われたけど、

あの子と組む子がいないじゃない!!!!!!え!中学は別になっちゃうし一緒にやる!!!

と思い、「先生、私〇〇ちゃんとやる」と名乗り出た瞬間のあの教室の空気。忘れられない。

 

ある子からは安堵。

ある子からは驚愕。

ある子からは奇異。

ある子からは感謝。

 

なんか色々感じました。(その後休み時間に色々言われたから、上記の目線だったと確信しています)

 

6年間一緒に過ごしてきたし別になんの躊躇いも抵抗もなくて。

ただ一緒に二人三脚をしたくて。

足が速い子が組んだらタイムに響くとかあるかもしれないけど、私は遅いから関係ないし。

 

大して深く考えず名乗り出ました。

 

彼女が嫌がったら変えてもらおう、コミュニケーションの取り方を変えた方がよければ変えよう、話しかけるのを鬱陶しく思っていたらやめよう、そう思って、本人の反応を見たり、養護学級の担任の先生や彼女のお母さんに話を聞いたりしながら過ごしました。

(今考えると、これは良い対応だったのかもしれない)

 

練習も当日も、私が話しかけて「う(うん)」か「うーう(違うとか嫌とか)」と返事をしてもらうことでいつものコミュニケーションをとって、私にとっては「いつも通り」で過ごしました。

 

そうしたら、運動会当日、二人三脚が終わった後、彼女のお母さんが私の母に泣いて感謝したそう。

私はいつも通りのことをしただけなのにと呆然。え、私何か感謝されることした?って。

 

どうやら聞いた話では、彼女のお母さんは、

6年生までなんとか生きられたこと、成長したこと、どうしても人目が気になるけれど私がペアになって普通に競技に参加していること

色々重なって感極まってしまったそう。

 

そのとき初めて、

そっか、私にとっては当たり前に友達だと思って仲良くしてたけど、お母さんにとっては生きてるだけで奇跡なんだ、しかも障害があると気にしちゃうんだそっか

と感じました。

 

障害がある人もない人も、みんな生きやすい世の中になればいいな、障害がある人にも優しい人が増えるといいな

そんなことを考えて、学校教育とか社会の在り方について考えるようになってきたのは、この頃かもしれない。

 

昔話、終わり。