いちご大福を受け入れられなかったあの頃の私は何て小さかったのだろう
いちご大福、意味がわからない。
大福とは中に餡子が入っていて外に粉をまぶしたものである。
そもそもは大福ではなく、鳥の鶉(ウズラ)に似てふっくらした形の「鶉餅」として江戸時代初期から民衆の間で広まった。
それを元に江戸小石川(現在の文京区小石川地区)の未亡人が小型化・簡易化したといわれている。簡単につくることができ腹持ちがよく大福のもととなる。
行商が売り歩くようになり、冬には焼いたものを売り歩いた。
そりゃそうだ。寒い日には温かいものを求めるのが人の性だろう。
今も冬のコンビニでは、おでんや肉まんがよく売れる。
ちなみに最近の私は、ひとりごまあんまんブームである。
話を戻す。
腹持ちのよいことから、「大腹餅」と呼ばれたそのカンタン鶉餅は、「ダイフクモチ」という音から「フク」の部分を吉字である「福」に置き換えて人々に受け入れられ、そして現在まで親しまれている。
ちなみに、元となった鶉餅であるが、長野の千曲川沿い、武水別神社由来と言われている。
https://uzuraya.net/uzura-mochi.html
あの羊羹で有名な虎屋さんでは慶安4年から販売しているらしい。なかなか歴史がある。
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/products/namagashi/uzuramochi/
で、だ。
外側の生地によもぎを入れてみたい(よもぎ大福)、豆を入れてみたい(豆大福)、大いに結構である。
よもぎや豆を加えているが、腹持ちが良いことには変わりない。
語源と照らし合わせて、理に適う。
そこで、いちご大福。
腹持ちが良いはずの大福にいちご。
いちごは好きだ。大好きだ。
しかし、腹が膨れるかというと、些か疑問である。
いちご大福に入っているいちごは大きい。
しかし腹が膨れることがあろうか。いや、ない。
語源から考えると明らかにおかしい。
ただ私も鬼ではない。
いちごを入れてみたら美味しいかもしれない、その気持ちは分からないでもない。
実際、いちご大福という名前を知らずに、小学生の頃、母が職場で同僚からいただき持ち帰った、いま考えていればいちご大福であるあの謎の皮に包まれたいちご食べた時は
「美味である」
そう感じた。
しかし大福としてはなかなか認め難い。美味であるが。
私は考えた。
納得するためには落とし所が必要である。
例外的な大福として定義付けることが最良ではないか。
例外的に果物を中に入れた異端大福としてなら受け入れられる。
もちろんフルーツ大福業界は、私の納得も許しも必要としていない。分かっている。
しかし、いちご大福という存在や定義を受け入れられないにも関わらず「美味である」と感じてしまう私がこの世で生きていくためには、納得が必要である。
受け入れよう、いちご大福を。
大福ではないけれど、例外的に果物を中に入れた大福として。
おわり。